1998プロ野球再現シリーズ第12弾
阿波野秀幸(あわの ひでゆき,1964年 7月28日-)
近鉄バファローズ(1987-1994)-読売ジャイアンツ(1995-1997)-横浜ベイスターズ(1998-2000)
10.19から苦節10年
近鉄でプロ野球のキャリアをスタートさせた阿波野投手はルーキーイヤーからチームのエースとして大活躍。見た目の風貌も相まって「トレンディエース」の一人としてパ・リーグ球界を盛り上げた。しかし投球フォームを崩したことや勤続疲労などが原因で成績が下降。1994年オフに巨人へ移籍するが成績が振るわず。1997年オフ2度目のトレードで横浜に移籍した。
近鉄時代に投手コーチを務め、阿波野投手を知り尽くしていた権藤博氏が監督をしていたこともあり積極的に起用された。シーズンでは50試合に登板しついに復活を果たすと、日本シリーズにも登板し第6戦で勝利投手となり、自身初の日本一の栄冠を掴み取った。のちに阿波野投手は「すべては10.19からつながっている」とかつて自らの手でリーグ優勝を手放してしまった屈辱的な試合の雪辱を10年越しに果たしたのであった。
パワナンバー 10200 31587 92640
【査定】
対ピンチC・・・年間被打率.248,得点圏被打率.176
対左打者B・・・対右打者被打率.293(92-27),対左打者被打率.209(110-23)
奪三振・・・奪三振率7.33(付けるか微妙だったが能力的に)
緊急登板〇・・・イメージで付けた(日本シリーズ第6戦の8回1死2塁の場面で登板し打者2人を打ち取ったことから)
【あとがき】
10.19の雪辱は翌年には果たしているだろというツッコミは受け付けません()
これで12球団制覇しましたがもうちょっと続きます
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