ここではチームタカハシに所属する5人の選手をまとめて紹介します(パパっとやるよ)
高橋信夫(たかはし のぶお,1972年 3月22日-)1998ver
オリックス・ブルーウェーブ(1998-2001,D5位)
26歳でプロ入りを果たしたオールドルーキー。1998年は星野伸之投手と一時期バッテリーを組んでいたこともあった。引退後は約20年にわたり巨人のブルペン捕手やバッテリーコーチを務めた。オリックスファンより巨人ファンのほうが覚えてるかもしれない。
高橋正雄(たかはし まさお,1935年 5月 5日-)1954ver
毎日オリオンズ(1953-1955)
高校時代は甲子園出場を果たしたショートの選手。オリオンズには3年間在籍していた。ただこれ以上の情報を得られなかったので、能力から顔までほとんどイメージで作成。いくら内野手が足りないとはいえ作るもんではないな…。
高橋洸(たかはし こう,1993年 9月30日-)2015ver
読売ジャイアンツ(2012-2017(2014-2017,育成),D5位)
50m走5.8sの俊足、遠投110mの強肩と高い身体能力が評価され入団。だが1年目から大ケガを負うなど不運も重なり、一軍出場は叶わず2017年オフに戦力外となる。その後、トライアウトを受けるも手を上げる球団は無く一度は社会人チームに所属していた。しかしその2年後、再びトライアウトを受けることを決意。この様子は人気ドキュメンタリー番組「バース・デイ」にて放送された。
高橋和幸(たかはし かずゆき,1977年 4月27日-)2004ver
福岡ダイエーホークス,福岡ソフトバンクホークス(1996-2005,D5位)
投手としてプロ入りも入団後に野手に転向。プロ7年目にして一軍初出場を果たした苦労人。再現年である2004年は序盤はレギュラー争いに競り勝ち、プロ初HRを記録するなど結果を残していた。しかし、その後は徐々に調子を落としレギュラー定着とはならなかった。
高橋忠一(たかはし ちゅういち,1960年 6月31日-)1984ver
ルーキーイヤーは開幕は二軍で過ごすも、6月に一軍初昇格。しばらくは打撃に苦しんだが8月後半から突如として調子が上がり、全30安打のうち17安打を9月に打つ活躍を魅せ、来年以降の飛躍が期待されていた。しかしケガなどに泣かされレギュラー獲得とはならず1990年に引退。結局ルーキーイヤーがキャリアハイとなった。
【あとがき】
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